鯖江市片上地区について 片上小HPトップへ

  鯖江市片上(かたかみ)地区は鯖江市北東部に位置し、北は古くから人々の信仰をあつめた標高365mの文殊山(もんじゅさん)を背に
 福井市と接しています。
 
 青葉台(あおばだい)、吉谷(よしたに)、四方谷(しほうだに)、南井(なおい)、大正寺(だいしょうじ)、大野(おおの)、別所(べっしょ)、
 
乙坂今北(おっさかこんぼく)の8集落があり、その南に水田が広がる田園地帯です。
  縄文時代後期(今から約3000年〜2500年前)の遺跡として有名な
四方谷岩伏遺跡では、木製の編みかごがほぼ完全なかたちで出土し、
 冬を越すための食料(トチ、ドングリ、シイ、クルミなどの木の実)を貯蔵する穴も約40基検出され、この時代の人々の生活を知る貴重な資料
 となっています。稲作が広がった弥生時代の遺跡は片上地区の現集落のほとんどからみつかっていること、古墳は前方後円墳をふくむ
今北山
 
古墳群(乙坂今北町・磯部町)をはじめとして6群が確認されていることから、鯖江市でもその歴史の古い地域であることがわかります。
  平安時代の10世紀ごろには、この地は地方豪族生江(いくえ)氏によって開墾され、のち藤原摂関家に寄進された
方上荘となり、鯖江で最も
 早く成立した荘園として知られ、この地の地名の由来となりました。また中世にかけて、周辺の山々の山頂や尾根を利用した山城が造られています。
  江戸時代には、片上の各村は福井藩領となりましたが、土地が低いため排水が困難で、近年までたびたび洪水の被害にあったことが記録に
 残されています。
  明治維新後の1889(明治22)年に7村が合併し
片上村ができ、村役場を吉谷に(のち大野に移転)おきました。明治24年の人口は2,500人
 あまりとの記録があります。
  1950(昭和25)年の片上村は面積7.87ku、世帯数417、人口2,054人、村の年間予算は440万円でした。1955(昭和30)年、
 町村合併により現在の鯖江市の一部となりました。


1996(平成8)年撮影
 ▲1996(平成8)年の空中写真
   写真左下の集落は吉谷町、右下が大野町
   中央左から四方谷町、南井町、大正寺町
   『文殊山とかたかみ』から転載
参考文献 『文殊山とかたかみ』 鯖江市片上公民館 1999
       『鯖江市史通史編上・下』 鯖江市史編纂委員会 1993,1999